『まんが道』藤子不二雄
藤子不二雄 著 『愛蔵版 まんが道』第4巻(中央公論社)より。青雲編内。
f0035084_21114289.jpg 初めて鬼子母神参道にある手塚治虫の住むアパート並木ハウスに向かう満賀道雄と才野茂と編集者。
f0035084_21115540.jpg 手塚治虫は留守だったが編集者に誘われ鬼子母神へお参り。おみくじは大吉(後の大凶へ続く印象深いおみくじ)。上川口屋。
f0035084_2112772.jpg すすきみみずくを買う。
f0035084_2112241.jpg その日の夜再び訪ねる。残していってくれたトキワ荘の敷金(手塚治虫の移転したあとの部屋に二人は入居)を返しに。手塚治虫はピアノを弾く。その帰り道。鬼子母神参道。
 手塚治虫が並木ハウスに住んだのは昭和29~34年。その間。
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:13 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「雑司が谷 わが夢の町」池内紀
f0035084_17342279.jpg池内紀著
「雑司が谷 わが夢の町」
初出『東京人 特集[東京くぼみ町コレクション]』1991/3 通巻42号
都市出版株式会社
f0035084_17345189.jpg『日本の名随筆 別巻32 散歩』川本三郎編
H5 作品社 252P 内3P

< 都電の鬼子母神駅で降りると、参道に向かって商店が並んでいる。右手に金物屋、八百屋、雑貨屋、豆屋、花屋。欅並木の参道は、太い幹から枝分かれしたように二手にわかれ、分岐点に高田書店という古本屋があった。>

< 記憶の底から、まざまざとよみがえってくる。二十代のはじめ、参道入口の花屋の南を右に入った露地奥のアパートに4年あまり住んでいた。ふところはさみしかったが若さがあった。安物の背広に着替えて会いにいく恋人もいた。ふところのさみしい恋人たちは、のべつ歩きたがるものである。墓地の南につづく静かな住宅街の細い道を、ものほしげにうろついた。護国寺の石段にすわって今川焼を食べながら、昏れなずむ大東京の家並みをながめていた。鬼子母神のお祭りには、手を握りあって雑踏にまぎれこんだ。>

池内 紀(いけうち おさむ 1940年11月25日 - )
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:12 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「雑司ヶ谷にて」菊池寛
f0035084_14534826.jpg菊池寛著
『作家の自伝10 菊池寛 半自叙伝/私の恋愛物語』浅井清編 佐伯彰一・松本健一監修
日本図書センター H6 232P 内2P
初出『随筆』大正13年9月号

< 雑司ヶ谷へ来たので、つい近所の墓地へ度々行く。度々行っている裡に、夏目さんのお墓も、岩野泡明のお墓も見当った。まだ島村抱月氏(もし雑司ヶ谷にありとすれば)のお墓に、ぶっつからない丈である。夏目さんのお墓は、随分評判のわるいお墓であった。自分で見るとこれじゃ評判のわるいわけだと思った。夏目さんと云えば、後世に残る文豪である。願くば、夏目漱石の墓と天然石か何かに、彫ってあったら、どんなに気持がいゝだろう。だが、僕の云った時は、命日の九日で、香煙が縷々と立ち昇っていた。
 岩野泡鳴のお墓には、「あるがまゝの現実に即して、全的存在の意義を髣髴す。味の生活なり。観照の世界也。……」と云ったような言葉が、彫りつけてある。自然主義の時代には、その言葉が、ピッタリしていたのだろうが、今では実感のない空虚な言葉としか思えない。高山樗牛の「吾人は須く現代を超越せざるべからず」などもこれと同じに馬鹿々々しい。とにかく、人はその時代時代に生きるものだ。殊に、思想や主張などは、直ぐ古くなる。お墓などには、決して自分の言説などは、彫らすものではないと、つくづく思った。>

菊池寛<1888(M21)~1948(S23)>
発表の前年大正12年(35歳)に文芸春秋社創設。関東大震災。年末雑司ヶ谷金山に居を定める。
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:11 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
『雜司谷若葉集』 秋田雨雀 他
f0035084_1659214.jpg秋田雨雀監修 兜木正亨編著
聖典輪讀會版 S14 113P
表紙絵 鶴田五郎 (以下適宜新漢字に改め)
目次
一、寺院改革家としての日持上人の上書・・・1
  秋田雨雀
一、日蓮上人門下に於ける「不住ふせ」について・・・7
  稲田海素
一、威光山法明寺誌・・・11
  一、法明寺史 二、聖祖御影の再認識 三、絵馬及び奉納額 四、お会式とお奉射 五、江戸文学に現れたる雑司谷
  兜木正亨
一、雑司ケ谷地名雑考・・・40
  青山茂
一、雑司谷(短歌)・・・52
  窪田空穂
一、小幡景憲傳・・・54
  佐藤堅司
一、大門並木訴訟・・・62
  秋田雨雀
一、欅の並木(詩)・・・70
  坂本哲郎
一、杉山盛政木像の発見・・・73
  佐藤堅司
一、佛教伝説としての鬼子母神・・・77
  高桑正存
一、孤峰不白の一字一石妙法塔・・・81
  兜木南浦
一、威光山上の鐘声・・・86
  鶴田勢湖
一、俳句十篇・・・89
  洞 岳
一、雑司谷の谷・・・90
  松木茂
一、名陶工竹本隼太について・・・93
  中島英雄
一、培ふ心・・・99
  立石正英
一、大門の野鳥・・・104
  山崎紅穂
一、望郷(短歌)・・・107
  韓鳳洙(目次誤植「朱」)
一、古典文化と聖典輪読会の使命・・・108
  坂本幸男
一、聖典輪読会の記・・・112
  齋藤秀夫

<雑司ヶ谷 窪田空穂
 槻おほき雑司ヶ谷通り夏の夜を人いで来り静かに歩む
 並み立てる槻百尺に余るべし白雲散れリ青空のうへに
 秩父おろし西より来れば雑司ヶ谷岡の槻の葉ひと夜に落ちぬ
 この台に繁き大槻今日はしも萌黄ほぐれて若葉となりぬ
 電柱につながれてゐる朝鮮牛そば通る我に低くうめけり
 一本の高き煙突けむり吐けり坂より見渡す真青き空に
 動くものは煙突が吐く煙のみけむりの動き見つゝわがゐる
 路挟み屋敷木高しうろこ雲おびたゞしくも空に光れる
 店きたなき清土の通り秋深み夜露まつはる電燈しづけし
 目白台に住む久しやと小路来て黄となれる銀杏あふぎたりけり>
(原文は旧漢字)

この本刊行が昭和14年
法明寺は1923(大正12)年関東大震災により本堂倒壊、昭和7年再建
      1945(昭和20)年空襲により全山焼失、昭和34年本堂再建、昭和37年客殿庫裏再建
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:10 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)