諸詩篇 菅原克己
f0035084_2562355.jpg「雑司カ゛谷墓地の小さい墓」は別項


「オルガンと五月」
母親は淋しそうにオルガンを売るのだといった。
僕は最後にオールド・ラング・ザインを弾いて
古いオルガンとの訣別にした。
母親は僕が病気だからというて
オルガンを運ばせなかった。
僕は玄関わきに立って
蒼い八ツ手のチラチラするかげを
母親と小さいキヨちゃんとが
重そうにオルガンを運ぶのを見ていた。
オルガン、
オルガン……。
(あれは雑司ヶ谷時代からあった。
あの頃は何を楽しそうに弾いたっけ。)

床に入って青空を眺めると、
ひとしきり咳が出た。僕は粉薬を飲みながら
もう燕が飛ぶ頃だナと思い、
もう一度あの大きなオルガンにしがみついて、
子供のように
ブウブウ鳴らしてみたいと考えていた。

<『手』1951年木馬社>



「築地小劇場の帰り」
そのときお前はいったね、
ああいう人がアカになるのだ、と。
そして
可哀そうな一生をおくってしまうのだ、と。

何にも知らないお前、
素直に育ってきて
憎んだり、争ったりしないことが
一番いいことだと思っているお前。
そういうお前に
このぼくが警察につれて行かれて
どれほど叩かれたかと教えたら
どんなに驚くことだろうか。

雑司ガ谷の、鬼子母神うらは
ほんとにお前が恐がる梟でも啼き出しそう。
その中で
お前の日和下駄が淋しい音をひきずる。
それからぼくは
さっきまで観ていた「風の街」のはなし、
銃殺された二六人のコミッサールのことを
話ししてきたのだが……。
何故、ストライキが起きるのか?
何故、労働者が資本家にたてつくのか?
それさえもわからないお前だった。
そうして、いつもの林のはずれで
お母さんによろしくというまで、
お前はただ、殺されたゴロヤンに
少女らしい同情を溢れさせているのだ。

<『菅原克己全詩集』 2003 西田書店 初期拾遺詩篇(昭和初期)>



「雑司ガ谷 ――戦争中に死んだ人に」
別れてから振り返って
私はもう一度あなたを呼んだ。
別れてからもう一度戻るのを
あなたは恥しげに笑って
小首をかしげながらやって来た。
鈴懸や欅の繁み。
木漏れ日が仰向いたあなたの顔に
いくつもの金色の斑点をつくった。

歩き出すと、
金のひかり模様は
一せいにあなたの全身に散らばった。
うすいメリンスの元禄。
黄色い兵古帯、
細い素足。
小径は熊笹に被われ
あなたの家の方へ続いていた。

――その最後に、
私たちは何を話したろう。
雑司ガ谷、鬼子母神うら。
その名はまだあるけれども、
今はあなたの家もない、木漏れ日もない。
小さな丘が重なって
半焼けの欅が黒く立ち、墓石がころがる道に
夕ぐれが暗くよどんでいるばかり。

<『手』1951年木馬社>
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:19 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「雑司カ゛谷墓地の小さい墓」菅原克己
f0035084_2046294.jpg菅原克己
『詩学』S45・5 25巻5号
『陽気な引越し 菅原克己の小さな詩集』 2005 西田書店
『菅原克己全詩集』 2003 西田書店 <「遠くと近くで」未刊拾遺詩篇>
(『遠くと近くで』は1969東京出版センター刊 第4詩集)

雑司カ゛谷墓地の小さい墓

雑司カ゛谷墓地の小さい墓。
年とった姉の家に近く
欅とひいらぎがある場所。
古びた自然石に
<まこちゃんのはか>
と刻まれている。

小さい女の子だろうか。
ジェニイや、
シンネェヴェや、
岸田劉生の絵なども
やさしく重なってくるが、
死はただ
あとさきのない物語りの
稚いひらがなの名だけをそこに刻む
  *
今も、きっと
木の葉がさざめき、
よく透るこどもたちの声が
木陰から聞こえてくるにちがいない。
すると、
すぐ思い出すだろう、
陽が輝く雑司カ゛谷、根津山、
蝉、さいかち、鳥黐(とりもち)のむかし。
――小鼻をふくらませて
駆けてきた少年が、
ふと、立ちどまって
ふしぎそうにその名を読んだ。
そして、自分の考えつかぬことに
何かびっくりしながら
また友だちの方へ駆け出していった……。
  *
戦争があり、
愛があった。
遠くから無数の死をたばねて
たちまち通りすぎる年月があった。

ある日、ぼくは
年とった姉を訪ねるだろう。
そして、散歩のついでのように
立ちよるだろう。
夏目漱石とか
島村抱月とかの近く、
<まこちゃん>と呼ばれた
その最初の存在のままでいる
小さな墓。
――今もなお、木の葉をそよがせ、
よく透る子どもたちの声をちらばせながら
ぼくが生きるよりも
まだ遠い時間のなかに……。


菅原克己<1911~1988>
1927(昭和2 16歳)豊島師範学校に入学
 <豊島師範から池袋駅まではまっすぐ商店街になっていたが、正門のすぐ前は空地で、いつも何軒かの露店が並んでいた。(中略)この露店の中に、古本屋が一軒あって、二人の青年が仲よく店番をしていた。一人は痩せて、鳥打帽によれよれの背広、一人はずんぐり肥って絣の着物、ともにくすんだ感じの失業者然とした男たちであった。左翼関係の古本が多かったが、ナップ系の雑誌だけはいつも新しいのがおかれていた。>(『遠い城』(創樹社)「早川二郎さんに会う」)
1930(昭和5 19歳)ストにて逮捕、「池袋署の留置場で四日間ほど特高の拷問を受ける」、退学。(『菅原克己全詩集』年譜)


『遠い城』(創樹社)より
「上高田に住んでいた秋山清氏が(略)」(わが詩わが夢)
「『地上楽園』には、姉が親しくしてた中村恭二郎という人がいた。(略)
 中村恭二郎は、雑司カ゛谷の、樹木が鬱蒼と茂った大きな邸の一部屋に住んでいて、(略)」(わが師、中村恭二郎)
始めて詩を他人に見せる。

f0035084_19294445.jpg菅原克己居住歴
1911/0歳  宮城県亘理郡に生まれる
1914/3歳  仙台
1923/12歳 栗原郡一迫町
1924/13歳 東京(雑司が谷?)
1926/15歳 東京(練馬区南町)
1936/25歳 益子 東京
1938/27歳 西巣鴨
1942/31歳 東中野
1945/34歳 世田谷北沢
1956/45歳 調布市
1988/77歳 逝去

右画像撮影2009/2 雑司ヶ谷霊園「まこちゃんのおはか」

参考:「空にパラフィン」(「高橋たか子」をめぐる出来事) 
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:18 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「墓参」久米正雄
f0035084_1915780.jpg久米正雄 著
『改造』1925(大正14)年1月号初出

『現代日本小説大系34 新現実主義2 山本有三 豊島與志雄 久米正雄』
S.30 河出書房 所収

『久米正雄全集 第9巻』平凡社 昭和5年
(平成5年 本の友社 復刻) 所収

・『破船』事件
久米正雄と松岡譲が漱石の死(1916,T5)後、長女筆子をとりあい、筆子は松岡譲を選ぶ。久米正雄は夏目家から義絶される。1922(大正11)年『破船』(当時の失恋事件を描く)により通俗小説家として名声を得、一方松岡譲は失墜していく。
「墓参」は義絶後の漱石親族や門弟からの目を逃れて深夜にする雑司ヶ谷霊園への墓参りの様子を心境をからめて描く。1917の一周忌から1924八回忌まで。八回忌ではじめて昼間に墓参し、了。

<……N先生の死後、其遺族F子との間に、起つてゐた私の戀愛が、友人Mとの三角關係から、遂に破綻に陥つて了つたのは、丁度先生の一週忌直前のことだつた。>
~~~一周忌墓参~~~
< 墓は忌日前に、出來たばかりの廣い前面を、薄い日影に照らされて、冷たく堂々と眼の前に在つた。花崗岩の白い表は、大理石のやうに磨かれてあつた。私は先生の薄白いやうな、時としてはひどく懐しいと共に、怖いやうな眼を連想し、左腕に喪章を巻いて、横目でぢろりと此方の心底を睨んだやうな、最近の、代表的寫眞の姿を思ひ浮べた。そして地下の先生に、無言で叱られて居るやうな感じながら、併し又先生は、凡てを許し、凡てを公平に見て下さるであろうと、強いて思ひ直して、墓前を退いた。>
~~~批難の声、「未練」の自覚~~~
<それつきり、私は向うの家に行くのは止め、向うの人に會うのは避けた。
  それ以来、年々十二月九日の、先生の忌日にも、私は夜になつてから、一人ひそかに墓参するのを例とした。>
< 止むを得ずではあつたが、かうして夜一人墓参をするのは、私の感傷を却つて満足させた。それは一年に一度の、一番大きいセンティメンタリズムとして、何だか人に云ふには恥しいが、自分では毎年一囘も缺かさず、其日其夕になると、必ず萬事を措いて駈けつけた。>

久米 正雄 1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:15 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「雑司ケ谷墓地」北野洸
f0035084_2113744.jpg北野洸 著
『北海道新鋭小説集1976』(S、51 北海道新聞社) に収録
『北方文芸』(88号・S.51)初出
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:14 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)