さようならデビル 本章    せと
【「さようならデビル 序章」https://ouraiza.exblog.jp/37964334/水曜日、日曜日】

6月16日月曜日。
 昼、店に短時間立ち寄り息を整え、徒歩10分ほどのクリニックへ、後頭部に10年以上あって連帯していた脂肪腫、通称デビルの除去手術に行く。
 こちらの恐怖感をよそにクリニックの受け付けのかたや執刀医さんがさらさらと流れ作業をなさりぼくは処置室の簡易ベットで首下に枕を抱えてうつ伏せになる。Tシャツを脱ぐよう指示されたのは予想外だったが大きめなタオルを背中にかけてくださったので安定を得た。その内側にデビルの身が入っている直径約3センチの丸い山の麓の数か所に麻酔注射の針が入ったときだけ多少の痛みがあったが声をあげるほどではない。皮膚を開いてクリップのようなもので留めたのか、そんな状況でも、進行を程よく知らせてくれる男性医師のバリトンボイスによる安心感があり、麻酔のせいで触れられている触覚もまったく働かない。消失を目前にしたデビルとデビルに至る道が完全に気絶していた。
 「痛くはないんですがけっこう引っ張られる感じがありますのですみません」と医師が伝えてくれたあと、通常自分が感じることのできる輪郭の限界から内側に食い込んだ部分の肉がぐいぐいと持ち上げられる感覚がしばらく続いた。脂肪腫というものが骨なのか肉なのかにある程度「癒着」しているということは聞いていたので、なるほど、「剥がされる」のか、と思う。貼ってすぐのガムテープを剥がす時の音をバリバリだとすると、数ヶ月か数年貼ったままで接着面に乾きがあり粘着部分がやや固形化したタイプを剥がす時の、メリバリ、メリバリ、という音がする。ガムテープを「剥がす」ことはあっても、骨を伝わって聞こえる音とともに体内から物体が「剥がされる」側になったことは初めての体験。「えー、今ですね、剥がしてますからねー、うん、全然強くは癒着してないんで楽に取れますよ、あとちょっとですよ」と医師が教えてくれて数十秒でメリバリは収まった。縫合もあっという間に終わった。
 あらかじめ医師に目視確認、撮影をお願いしていたので、デビルはすぐに片付けられずに医療器具カートに敷いたガーゼの上に置かれていた。ぼくはついにデビルと対面した。デビルは桃色の濡れたグミだった。取り出される前は黄色なのだそうだ。スマホを持たないで来てしまったので待合室で待機してくれているムトさんを処置室に呼び入れ、デビルのポートレイトを撮ってもらう。ムトさんは「あー、ま、小さな脳みたいだな」と言っていた。医師はデビルをピンセットで持ち上げ小瓶の中のホルマリン液に落とし、お疲れ様でした、と処置室のカーテンの奥に入っていった。
 では、さようなら、デビル。
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 ツルハドラッグで処方箋を提出して薬を買い、店で営業はせず内勤。
 手術箇所に明日まで入れっぱなしになっているという「血抜きのドレーン」をかばうためか、後頭部に貼られたもう一つの小ぶりな頭ぐらい大きくて厚いガーゼに戸惑う。見た目にはひどい怪我のように見えてしまうが、その実、率先してできものを取っていただいただけ、なのだった。
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 海外文芸の棚は、作家のラストネームの日本語読み頭文字を五十音順で並べているのだが、「オー・ヘンリー」が「オ」なのか「へ」なのか論争になった。普通にかんがえれば「へ」だと思うのだが、英語に詳しい店員ノムが「オ」だと主張する。新潮社の分類だと「オ」だったはずだ、とノムは言うのだが、調べるのがなんだかめんどうなので未決のまま放置する。オかへかはとりあえずおいておき、「オー・ヘンリー」のウィキペディアによって、それがペンネームだと初めてわかった。

6月17日火曜日。
 休み。
 午後クリニックに行き術後の患部に残されていた「血抜きのドレーン」を抜く。経過良好とのこと。なんと、今晩から患部を直接石鹸の泡などで洗うべし、とのことで驚く。
 夕方からご近所のYさんの事務所で仙台から出張できて仕事をしていたうすだ王子と合流、Yさんとともに硯家さんにて会食。瞬間的な歴史が発光し、つながったり離れたり、時空を泳ぐ。雑司が谷にあったふたば寿司とは。手術後の禁酒中のためウーロン茶。

 深夜、縫い跡が生々しい後頭部を恐る恐るムトさんに洗ってもらう。

6月18日水曜日。
 休み。
 通販サイト「日本の古本屋」が現代の波に対応するための小さな仕様変更を実施、今日から新方式が導入されたので、管理ページを開いて登録済み商品に共通コンディションを追加していく作業をする。こういう大元のシステムをかんがえたり実行したりするかたがたがいるわけで、大変なことだろうなあと気が遠くなる。

 テレビをぼーっと観ていたら、食品サンプルが海外からの旅行者に人気、というコーナーでアーサー・ビナードさんがそうと紹介されずに観光客の一人として街角インタビューを受けていらっしゃりびっくりした。

6月19日木曜日。
 前業で少しだけ滞留物の値段つけ。開店して諸事。
 やらねばならないメインの2項目を遠巻きにして準やらねばならないことに逃げる。溜まった市場用の大判美術歴史書の大山を縛り分けて準備、など。

 後頭部にテーピングで貼っているガーゼをだんだん薄く小さくしていく段階に入る。
 ぼーっとしていて通販の発送宛先を間違えた。すんでのところで気付いて対処ができ危機回避。いけない。

6月20日金曜日。
 前業で溜まった市場用の単行本、文庫新書の大山を縛り分けて準備。車に載せる。開店して諸事。

 午後、極ご近所のご婦人のノートパソコンが不調とのことで、お役に立てることは多分ないだろうが、確認をしにお伺いする。1台はモニターとキーボードを繋ぐちょうつがい部分(今調べると「ヒンジキャップ」)が折れて開閉時に歪んだ動きをすることにより接触不良を起こしていて、1台は起動時のパスワード忘れ。お誕生日は、趣味は、ラッキーナンバーは、お好きな動物は、などもろもろを組み合わせたりの数十種類を試すもすべて無効。やはりお役に立てず店に帰る。

 オーストラリア、タスマニアの業者さんから続けてご注文をいただき、どんな感じだろうと検索してみたら楽しかった。タスマニアに日本の紙が飛んでいって紹介されているのが面白い。例えば広告宣伝美術のページ

 夜、目白台の東大分院跡にできた巨大な留学生寮に住んでいるという外国のかたがたが買い物をしてくださった。そうと分かることが初めてで嬉しかった。

 手術後の禁酒期間が明けて開放感があり、ミヤモトくんとヤキトンみつぼさんで飲食。当然のことに閉店時間厳守で、席を立たねばならない直前にミヤモトくんが食べ切れなそうなタコブツ、レバー、カブ味噌などを全てやきそばに混ぜ合わせて掻き込んでいて可笑しかった。

6月21日土曜日。
 ごくたまにある、閉店時間中の降りたシャッター前への本の置きみやげ。今回はご意志が貼り紙で示されていたのでどうすればいいか悩まずに済む。
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 前業で少しだけ滞留物の値段つけ。開店して諸事。
 いつもなら当日にサボりたくなる市場への出品だが、今回は前々日から少しずつ準備をして出かけるだけにしておく戦法をとったので心理的葛藤無しに市場へ行くことができた。ざっと出品を終わらせ立石書店一郎さんに挨拶をしようと催事開催中の地下に降り、店番休憩中らしき御婦人に一郎さんの居場所を尋ねると、「ああ、これよこれ、パカッパカッ」と両手を前方で上下なさった。そ‥‥それはなんですか‥‥?「なにって、馬よ!馬!」そうか一郎さんは後楽園の場外馬券売り場に行ったのか、と帰った。後で確認すると古書会館8階ラウンジのテレビで競馬中継をご覧になっていたとのこと。

 夜、手帳編集部Fさんが貸してくださったジョン・カサヴェテス監督DVDBOXから1959年の「SHADOWS」(「アメリカの影」)を観た。史的。

6月22日日曜日。
 前業にて「安住紳一郎の日曜天国」を聴きながら少しだけ滞留物の値段つけ。前業中に手帳編集部Fさんがふらっと立ち寄ってくださり、今日が日曜日であることに缶ビールで乾杯。先週応募したニチテンの「ロト3」は外れていた。応募は楽しい。
 
 まだ梅雨だと思っていたのに暑気初めが到来していて店の売り上げが急落中。その間に奮起していただきたい通販のレジスターもなぜかぴたっと静止。ウェブ通販の秘訣は商品登録量だけなのか、もっとなにかあるのではないか、インターネットで通販をしていなかったころに店に対して持っていた探究の思いを、通販に対して持っていることに気付いた。

 出張買い取りのお預かりの予定があったが延期になり、気重だった書類作りにひたすら取り組む。夕方、雑司が谷公園の丘の上テラスに投票に行った。

by ouraiza | 2025-06-23 02:26 | Comments(0)
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