『山本忠興傳』
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山本忠興(やまもとただおき) 雑司ヶ谷霊園 1-14-13 電気工学者
昭和26年(1951)04月21日(69歳)没 日本最初のテレビ研究者。 日本日曜学校協会会長。第九回オリンピック総監督。

 ~(略)~山本は或る特許権を某会社に譲渡した際、契約書の上で相当な額の金を保証されたので、その金の入ることを計算しての上で、新しい建築をはじめた。それが有名な電気の家である。
 電気の家には、一九二二(大正十一)年から一九三二(昭和七)年まで住んだ。それは目白駅から、日本女子大学に行く途中の鬼子母神の近くにあつた。この辺一帯の土地は、もと岡部子爵邸のあつたところで、後に高田町のものになり分譲地として一般に売り出された時、長い間町の住民として奉仕して来た山本の陰徳が報いられて、七百坪の地所が格安に買えた。当時は茫茫たる草原であつた。今まで借家を渡り歩いて居た彼も、はじめて自分の家を建てて住むこととなつた。

『山本忠興傳』1953年 山本忠興博士傳記刊行会(代表 矢野貫城)より

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by ouraiza | 2002-01-01 02:10 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
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