編集過程を横から眺めているだけのぼくですが、『名画座手帳』ってそうか、そういうものなんだ、と刻印を捺された忘れられないエピソードを一つ。記憶の細部を脚色しています。
去年、あと数日で『名画座手帳2016』の編集作業を終わらせ印刷所に送らねば、という最終段階に入った11月の終わり頃、原節子さん逝去の報道があった。命日は9月5日、と。
企画と監修、『名画座手帳』の首謀者であるノムミチが店番をする店の帳場では、大詰めにもなるとほとんど毎日、10分あるかないかの、キャッチャーがピッチャーに歩み寄って一つのサインを確認するような、実質的な編集の全部をやってくれている朝倉さんとノムによるおおらかな編集会議が行われていた。
朝倉さんはその夜、ノムと、ちょうど店の奥にいたぼくも合わせた3人分の缶ビールをとなりのコンビニで買ってきてくれた。そしていつもながらの冷静な発声で、「どうしましょうか、原節子さん、まだギリギリ原稿には間に合います。どう思いますか?」と今日のサインの確認。
初めての手帳作成、刊行。どこよりも抜かりない情報。熱心な映画好きな人へのアピール。『名画座手帳』がするべきことの一つに、ノムと朝倉さんと版元の社主だけの小さな編集部だからこそできる軽快なフットワークがあるだろうと思ったぼくは、ぜひ載せるべきだと即答。ノムも載せた方がいいのでは、という方向性だった。
なるほど、と右手をあごにあてた朝倉さんは、ちょっとの沈黙の後にいつもより少しだけ絞り出すように語り始めた。こんな感じだった、という大意。
んーー、あの実は自分は、載せなくていいんじゃないかと思うんです。
誰が亡くなって誰が存命だとか、ニュース速報、というか、、、そういうことではないのではと、、、
もう1年、原節子さんは生きています。だってあの、ほら、いらっしゃるじゃないですか。
生きていて、いいんじゃないですか?
「もう1年」以降、朝倉さんはキャッチャーが打たれた場外ホームランをレフトスタンドの彼方に見送るように、斜め上を見つめていた。そこには店の保留物が雑に詰め込まれた本棚しかなかったけれど。
ぼくたちはちょっと茫然として、すぐに意を翻した。ほんとにその通りだと思った。缶ビールが空いたので、また3人分となりへ買いに行った。
2017年版の9月5日には、原節子さんのお名前があります。