「Y」      せと
 「友人が死に、本は往来座へ処理を頼めと書き置きを残した」と、Yと名乗る方から出張買い取り依頼の連絡をもらったのが先週のなかば。大阪から公衆電話でかけているというYさんからは「ただの仲介なのでちょっと・・・」と連絡先を教えていただけない。亡くなった御友人はHKさんというらしい。大きな家の表札にそうある、と。お名前だけではなぜうちをご指名くださったか思い当たらない。その日の夕方とりあえず下見だけさせていただく約束をしたが、五時前後、というと、五時ちょうどに来てくれ、とおっしゃる。出掛けようとしていた四時半、公衆電話から「出先から戻れなくなった」と一度目のお流れ。大阪から友人の本の処理のために上京するとなればさぞかし大変であろう。翌々日の約束は「予報が雨だから」「雨でもやりますよ」「いや大変だから」、で二度目のお流れ。週末は無理、夜は無理、とのこと。

 今日の昼を約束していた。

 T区N町○-△-×は細道の入り組んだ先にある。実は、運転が苦手で道を知らないぼくは、昨日の夜偶然時間が空き、途中にある古本屋さんに寄りたいという目的もあり、自転車で20分ほどの近い距離なので下見に行っていた。一方通行やパーキングを確認する。ひとまず安心。しかし大きな家と聞いていた場所には、古い木造アパートらしきものが三棟建っている。手前にA荘、横にK荘。A荘の裏の一棟は、個人宅かアパートかはっきり判別はできない。とりあえず、あれか、と目星をつけ、表札を確認する。何も無い。H・Kといういかにも墨書が似合いそうな立派なお名前の表札はどこにも無い。建てつけの悪そうな大きなガラス戸が、うっすらと開いている。奥から闇がのぞいている。どのアパートのどの窓にも灯りが無い。暗い。重く暗い。

 今日の昼。

 約束の1時には30分あれば充分、車に乗ろうとしていると、店番中のノムミチから連絡があった。Yさんから店に二度電話(公衆)があり、1時には絶対間に合いますか?と念を押してきたらしい。前回の約束の時も丁度の時間にこだわっていらした。なぜだろう。二度の約束のお流れから徐々にふくらみつつある、なにか釈然としないことへの憂鬱をさらにふくらませながら、一応急ぐ。

 運転しながら、いろいろ想う。ガムテープでノブが固定された、この扉は絶対に開けてはならぬ、と言われた部屋のとなりで本を縛ること。買い取りには本人確認のための身分証明が必要であることを、あの家に入る前に伝えること。去年被害者となった詐欺事件(このことはとても長くなるので今は書けませんが)の匂い、痛み、がずっと胸にある。またそういう・・・・・。心臓の右も左も予感で満ちる。

 12時59分。T区N町○-△-×。当然、昨日の夜よりも明るい。しかし胸の濡れた砂袋は昨日より重い。
 少し離れたところにあるパーキングで車の荷台から備品を出すときに、いったんしまった専用のヒモ切り(ヒモを切るためだけのもので先が丸い)を、カッターナイフと入れ替えた。大きなガラス戸の前に立ち上を見上げ、一日で一番大きな声を出す。「Yさーん」「いらっしゃいますかー」「こんにちはー」。昨晩と違って少しだけ人のいる気配のある両どなりのアパートにもまわりこみ、「こんにちはー」を大きく繰り返す。ほうほうあれが例の間抜けなバカ野郎か、遠くから誰かが双眼鏡を使って笑っていないだろうか。念のため周辺の家々の表札に「H・K」を探して歩く。ゴルゴ13の銃、あのピストルはなんという名前だろう。「こんにちはすみませーん」。ここにぼくが呼ばれているということは店にはぼくがいない。ノムミチに用心するよう電話をかける。「いらっしゃいませんかー」。

 気分とは逆に、頭上には青空がのびのびと広がっている。春めいてきた肌に差し障りのない風が庭の枯葉を揺らすたびにびくっとする。昨日の夜闇では見えなかったが、アパートの奥の壁に極端に大きな張り紙がある。赤い文字で[どろぼうに注意!]。門のすぐ横の壁に[空き巣多発!]。呼びかけは止め、門の前のガードレールに20分ほど腰かけていた。たばこを二本吸った。

 「Y」は現れなかった。その後連絡も無い。

「Y」      せと_f0035084_21241016.jpg



「都電と呼ばれて50年」額
(絵のみのサイズ/277×103)切り絵/稲葉祐吉 印刷
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 なにかの切り抜きでしょうか。ポスターやちらし、雑誌のグラビアページより厚紙です。
「Y」      せと_f0035084_22204249.jpg

by ouraiza | 2011-02-21 20:40 | Comments(0)
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