
小沼丹作品のなかの雑司が谷霊園。
『小さな手袋』小沼丹 1997 2刷 講談社文芸文庫
ヌレヨレあり 300円 販売中!!!!売切
「枇杷」所収
「枇杷」より
昔、友人が目白に住んでいて、ときどき遊びに行ったことがある。まだ学生だったころだが、この友人は一軒の家を借りて住んでいて、その庭に枇杷があった。庭の隅には何竹だったか忘れたが小さな竹薮があった、友人は自ら竹林亭主人と称していた。
暑いころだったと思うが、或る晩、その二階の座敷で夢中になって早い将棋を指していたら、いつの間にか東の空が明るくなって雀が啼き出したので驚いたことがある。雀の声を聞いたら急に草臥れた気がしたから、将棋は中止にして、雑司ヶ谷の墓地迄散歩した。雑司ヶ谷の墓地へ行ったのは、そのときが初めてだと思うが、竹林亭は近所だからちょいちょい散歩に行っていたらしい。
——いい墓を見せてやる。
と云って、竹林亭気に入りの墓の前へ連れて行って呉れたのを想い出す。「何とか子ちゃんのお墓」と書いてあったことしか記憶に無いが、多分小さな女の子の墓だったのだろうと思う。それから、竹林亭の案内で、早朝のひんやりした墓地をあちこち歩いて、漱石、抱月、泡鳴の墓を見たが、いまはほとんど忘れている。
小沼丹<1918ー1996> 1940(s15)早稲田大学文学部英文科に入学 1942(s17)早稲田大学を繰り上げ卒業になる
この雑司ヶ谷霊園への散歩は昭和15年から昭和17年の頃。
竹林亭気に入りの何とか子ちゃんの墓とは、菅原克己が詩
「雑司カ゛谷墓地の小さい墓」に描いた「まこちゃんのはか」ではないか。