「引越やつれ」井伏鱒二
f0035084_20161283.jpg井伏鱒二 著
『新潮』S22新年号(44巻1号)初出
『引越やつれ』S23 六興出版部
『引越やつれ』S36 角川書店 新書判
『井伏鱒二全集・3』S42 筑摩書房
『井伏鱒二全集・11』H10 筑摩書房
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:25 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「潰走」 西村賢太
f0035084_19422884.jpg西村賢太 著
『二度はゆけぬ町の地図』(2007 角川書店)所収

「 寛多が雑司が谷の鬼子母神に程近い、その四畳半に越してきたのは昭和五十八年の十月半ば頃だったが、早くもこの月末に支払うべき家賃は滞る気配だった。」

「 (略)都電の停車場を降りた寛多は、そこに隣接する肉屋の店先で焼いてた焼鳥の、タレが焦げるひどく香ばしい香りにひかれて、五、六本がとこ買っていこうかと考えながら、その方の目白通り側へ踏切を横ぎろうとしていると、少し前方の商店から例の老家主らしき人物が出てくるのが目に入った。
 これにドキリとし、後方の明治通りにぬける路地の方へ踵を返そうとするのを、何か一瞬躊躇するかたちになったのがしくじりである。」

自堕落な生活。厚意的だった大家老夫婦の豹変。四ヶ月間の攻防。後、椎名町の三畳間へ夜逃げ。
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:23 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「雑司ヶ谷のころ」荒畑寒村
f0035084_19563356.jpg荒畑寒村 著
『太陽』(NO153 特集 竹久夢二 S51/2)に収録 談話

< 明治三十七、八年頃といえば、雑司ヶ谷もそりゃあほんとの田舎だった。みんな藁葺屋根でね。竹久たちが借りていたのも、やっぱりそんな百姓家だった。>
<そのうちぼくは明治三十八年の四月からいわゆる社会主義伝導行商に出たんだが、六月頃かな、東京へ帰ってきた。帰ったはいいが行くところがない。それで竹久たちの部屋へ転がり込んで、一緒に自炊生活を始めたんだ。>
<雑司ヶ谷で一緒に暮らしたのは三十八年いっぱいくらいだが、竹久が売れだしたころ社会主義運動もシリアスになってきて、昔のように呑気な時代じゃなくなっちまう。>

荒畑寒村<1887(M20)-1981(S56)>
竹久夢二<1884(M17)-1934(S9)>
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:23 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「把手 1、小泉八雲 雑司が谷」市川実和子
f0035084_2181064.jpg市川実和子 著
『季刊 真夜中』創刊号 2008 Early Summer 掲載(連載第一回) 紀行文

<目的の雑司ヶ谷駅に着くと、ぺっと吐き出るように電車から降りた。>
<雑司ヶ谷霊園の路地裏には誰もいない。風もなく、寒くもあたたかくもない、ちょうど半分。高く透明な空の下で、空気まで止まっているように見える。>
<このあたりは、夫人や息子の一雄の手記にもよく出てくる。鬼子母神が好きだった八雲は家族とともに来ると、かならず駄菓子屋で幼い一雄に名物のみみずくのおもちゃを買ってあげた。すすきの穂でできたみみずくは、今でも、雑司ヶ谷と書かれた赤い札をしっぽに下げて店に並んでいる。妻とふたりでここにきたときは、面影橋までよく散歩をしたのだそうだ。>

f0035084_2123143.jpg小泉八雲<1850(嘉永3)-1904(M37)>
年譜一部抜粋
1894年 - 神戸市のジャパンクロニクル社に就職、神戸に転居する。
1896年 - 東京帝国大学文科の英文学講師、帰化し「小泉八雲」と名乗る。秋に東京都新宿区富久町にへ転居する(1902年の春まで在住)。
1897年 - 次男・巌誕生。
1899年 - 三男・清誕生。
1902年3月19日 - 東京都新宿区西大久保の家に転居する。
1903年 - 東京帝国大学退職(後任は夏目漱石)、長女・寿々子誕生。
1904年3月 - 早稲田大学の講師を勤め、9月26日に狭心症により東京の自宅にて死去、満54歳没。戒名は正覚院殿浄華八雲居士。墓は東京の雑司ヶ谷墓地。

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# by ouraiza | 2002-01-01 00:22 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)