「把手 1、小泉八雲 雑司が谷」市川実和子
f0035084_2181064.jpg市川実和子 著
『季刊 真夜中』創刊号 2008 Early Summer 掲載(連載第一回) 紀行文

<目的の雑司ヶ谷駅に着くと、ぺっと吐き出るように電車から降りた。>
<雑司ヶ谷霊園の路地裏には誰もいない。風もなく、寒くもあたたかくもない、ちょうど半分。高く透明な空の下で、空気まで止まっているように見える。>
<このあたりは、夫人や息子の一雄の手記にもよく出てくる。鬼子母神が好きだった八雲は家族とともに来ると、かならず駄菓子屋で幼い一雄に名物のみみずくのおもちゃを買ってあげた。すすきの穂でできたみみずくは、今でも、雑司ヶ谷と書かれた赤い札をしっぽに下げて店に並んでいる。妻とふたりでここにきたときは、面影橋までよく散歩をしたのだそうだ。>

f0035084_2123143.jpg小泉八雲<1850(嘉永3)-1904(M37)>
年譜一部抜粋
1894年 - 神戸市のジャパンクロニクル社に就職、神戸に転居する。
1896年 - 東京帝国大学文科の英文学講師、帰化し「小泉八雲」と名乗る。秋に東京都新宿区富久町にへ転居する(1902年の春まで在住)。
1897年 - 次男・巌誕生。
1899年 - 三男・清誕生。
1902年3月19日 - 東京都新宿区西大久保の家に転居する。
1903年 - 東京帝国大学退職(後任は夏目漱石)、長女・寿々子誕生。
1904年3月 - 早稲田大学の講師を勤め、9月26日に狭心症により東京の自宅にて死去、満54歳没。戒名は正覚院殿浄華八雲居士。墓は東京の雑司ヶ谷墓地。

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# by ouraiza | 2002-01-01 00:22 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
『代書屋佐永』山下友美
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『代書屋佐永』全3巻
山下友美著 2005・6(平成17・18)秋田書店プリンセスコミックス
 江戸の雑司が谷鬼子母神界隈が舞台。「鬼子母神境内ウラの川沿い」にある手習い塾兼代書屋(文字を書けない人に代わって文書を書く)の謎の主人佐永と、町娘文花が織りなす人情恋愛劇。巻末解説によると、著者は池袋~雑司が谷地域でお育ちになったとのこと。音羽の遊女たちもその歴史解説とともに登場。
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:21 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
諸詩篇 菅原克己
f0035084_2562355.jpg「雑司カ゛谷墓地の小さい墓」は別項


「オルガンと五月」
母親は淋しそうにオルガンを売るのだといった。
僕は最後にオールド・ラング・ザインを弾いて
古いオルガンとの訣別にした。
母親は僕が病気だからというて
オルガンを運ばせなかった。
僕は玄関わきに立って
蒼い八ツ手のチラチラするかげを
母親と小さいキヨちゃんとが
重そうにオルガンを運ぶのを見ていた。
オルガン、
オルガン……。
(あれは雑司ヶ谷時代からあった。
あの頃は何を楽しそうに弾いたっけ。)

床に入って青空を眺めると、
ひとしきり咳が出た。僕は粉薬を飲みながら
もう燕が飛ぶ頃だナと思い、
もう一度あの大きなオルガンにしがみついて、
子供のように
ブウブウ鳴らしてみたいと考えていた。

<『手』1951年木馬社>



「築地小劇場の帰り」
そのときお前はいったね、
ああいう人がアカになるのだ、と。
そして
可哀そうな一生をおくってしまうのだ、と。

何にも知らないお前、
素直に育ってきて
憎んだり、争ったりしないことが
一番いいことだと思っているお前。
そういうお前に
このぼくが警察につれて行かれて
どれほど叩かれたかと教えたら
どんなに驚くことだろうか。

雑司ガ谷の、鬼子母神うらは
ほんとにお前が恐がる梟でも啼き出しそう。
その中で
お前の日和下駄が淋しい音をひきずる。
それからぼくは
さっきまで観ていた「風の街」のはなし、
銃殺された二六人のコミッサールのことを
話ししてきたのだが……。
何故、ストライキが起きるのか?
何故、労働者が資本家にたてつくのか?
それさえもわからないお前だった。
そうして、いつもの林のはずれで
お母さんによろしくというまで、
お前はただ、殺されたゴロヤンに
少女らしい同情を溢れさせているのだ。

<『菅原克己全詩集』 2003 西田書店 初期拾遺詩篇(昭和初期)>



「雑司ガ谷 ――戦争中に死んだ人に」
別れてから振り返って
私はもう一度あなたを呼んだ。
別れてからもう一度戻るのを
あなたは恥しげに笑って
小首をかしげながらやって来た。
鈴懸や欅の繁み。
木漏れ日が仰向いたあなたの顔に
いくつもの金色の斑点をつくった。

歩き出すと、
金のひかり模様は
一せいにあなたの全身に散らばった。
うすいメリンスの元禄。
黄色い兵古帯、
細い素足。
小径は熊笹に被われ
あなたの家の方へ続いていた。

――その最後に、
私たちは何を話したろう。
雑司ガ谷、鬼子母神うら。
その名はまだあるけれども、
今はあなたの家もない、木漏れ日もない。
小さな丘が重なって
半焼けの欅が黒く立ち、墓石がころがる道に
夕ぐれが暗くよどんでいるばかり。

<『手』1951年木馬社>
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:19 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「雑司カ゛谷墓地の小さい墓」菅原克己
f0035084_2046294.jpg菅原克己
『詩学』S45・5 25巻5号
『陽気な引越し 菅原克己の小さな詩集』 2005 西田書店
『菅原克己全詩集』 2003 西田書店 <「遠くと近くで」未刊拾遺詩篇>
(『遠くと近くで』は1969東京出版センター刊 第4詩集)

雑司カ゛谷墓地の小さい墓

雑司カ゛谷墓地の小さい墓。
年とった姉の家に近く
欅とひいらぎがある場所。
古びた自然石に
<まこちゃんのはか>
と刻まれている。

小さい女の子だろうか。
ジェニイや、
シンネェヴェや、
岸田劉生の絵なども
やさしく重なってくるが、
死はただ
あとさきのない物語りの
稚いひらがなの名だけをそこに刻む
  *
今も、きっと
木の葉がさざめき、
よく透るこどもたちの声が
木陰から聞こえてくるにちがいない。
すると、
すぐ思い出すだろう、
陽が輝く雑司カ゛谷、根津山、
蝉、さいかち、鳥黐(とりもち)のむかし。
――小鼻をふくらませて
駆けてきた少年が、
ふと、立ちどまって
ふしぎそうにその名を読んだ。
そして、自分の考えつかぬことに
何かびっくりしながら
また友だちの方へ駆け出していった……。
  *
戦争があり、
愛があった。
遠くから無数の死をたばねて
たちまち通りすぎる年月があった。

ある日、ぼくは
年とった姉を訪ねるだろう。
そして、散歩のついでのように
立ちよるだろう。
夏目漱石とか
島村抱月とかの近く、
<まこちゃん>と呼ばれた
その最初の存在のままでいる
小さな墓。
――今もなお、木の葉をそよがせ、
よく透る子どもたちの声をちらばせながら
ぼくが生きるよりも
まだ遠い時間のなかに……。


菅原克己<1911~1988>
1927(昭和2 16歳)豊島師範学校に入学
 <豊島師範から池袋駅まではまっすぐ商店街になっていたが、正門のすぐ前は空地で、いつも何軒かの露店が並んでいた。(中略)この露店の中に、古本屋が一軒あって、二人の青年が仲よく店番をしていた。一人は痩せて、鳥打帽によれよれの背広、一人はずんぐり肥って絣の着物、ともにくすんだ感じの失業者然とした男たちであった。左翼関係の古本が多かったが、ナップ系の雑誌だけはいつも新しいのがおかれていた。>(『遠い城』(創樹社)「早川二郎さんに会う」)
1930(昭和5 19歳)ストにて逮捕、「池袋署の留置場で四日間ほど特高の拷問を受ける」、退学。(『菅原克己全詩集』年譜)


『遠い城』(創樹社)より
「上高田に住んでいた秋山清氏が(略)」(わが詩わが夢)
「『地上楽園』には、姉が親しくしてた中村恭二郎という人がいた。(略)
 中村恭二郎は、雑司カ゛谷の、樹木が鬱蒼と茂った大きな邸の一部屋に住んでいて、(略)」(わが師、中村恭二郎)
始めて詩を他人に見せる。

f0035084_19294445.jpg菅原克己居住歴
1911/0歳  宮城県亘理郡に生まれる
1914/3歳  仙台
1923/12歳 栗原郡一迫町
1924/13歳 東京(雑司が谷?)
1926/15歳 東京(練馬区南町)
1936/25歳 益子 東京
1938/27歳 西巣鴨
1942/31歳 東中野
1945/34歳 世田谷北沢
1956/45歳 調布市
1988/77歳 逝去

右画像撮影2009/2 雑司ヶ谷霊園「まこちゃんのおはか」

参考:「空にパラフィン」(「高橋たか子」をめぐる出来事) 
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:18 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)