「雑司ケ谷墓地」北野洸
f0035084_2113744.jpg北野洸 著
『北海道新鋭小説集1976』(S、51 北海道新聞社) に収録
『北方文芸』(88号・S.51)初出
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:14 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
『まんが道』藤子不二雄
藤子不二雄 著 『愛蔵版 まんが道』第4巻(中央公論社)より。青雲編内。
f0035084_21114289.jpg 初めて鬼子母神参道にある手塚治虫の住むアパート並木ハウスに向かう満賀道雄と才野茂と編集者。
f0035084_21115540.jpg 手塚治虫は留守だったが編集者に誘われ鬼子母神へお参り。おみくじは大吉(後の大凶へ続く印象深いおみくじ)。上川口屋。
f0035084_2112772.jpg すすきみみずくを買う。
f0035084_2112241.jpg その日の夜再び訪ねる。残していってくれたトキワ荘の敷金(手塚治虫の移転したあとの部屋に二人は入居)を返しに。手塚治虫はピアノを弾く。その帰り道。鬼子母神参道。
 手塚治虫が並木ハウスに住んだのは昭和29~34年。その間。
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:13 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「雑司が谷 わが夢の町」池内紀
f0035084_17342279.jpg池内紀著
「雑司が谷 わが夢の町」
初出『東京人 特集[東京くぼみ町コレクション]』1991/3 通巻42号
都市出版株式会社
f0035084_17345189.jpg『日本の名随筆 別巻32 散歩』川本三郎編
H5 作品社 252P 内3P

< 都電の鬼子母神駅で降りると、参道に向かって商店が並んでいる。右手に金物屋、八百屋、雑貨屋、豆屋、花屋。欅並木の参道は、太い幹から枝分かれしたように二手にわかれ、分岐点に高田書店という古本屋があった。>

< 記憶の底から、まざまざとよみがえってくる。二十代のはじめ、参道入口の花屋の南を右に入った露地奥のアパートに4年あまり住んでいた。ふところはさみしかったが若さがあった。安物の背広に着替えて会いにいく恋人もいた。ふところのさみしい恋人たちは、のべつ歩きたがるものである。墓地の南につづく静かな住宅街の細い道を、ものほしげにうろついた。護国寺の石段にすわって今川焼を食べながら、昏れなずむ大東京の家並みをながめていた。鬼子母神のお祭りには、手を握りあって雑踏にまぎれこんだ。>

池内 紀(いけうち おさむ 1940年11月25日 - )
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:12 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)
「雑司ヶ谷にて」菊池寛
f0035084_14534826.jpg菊池寛著
『作家の自伝10 菊池寛 半自叙伝/私の恋愛物語』浅井清編 佐伯彰一・松本健一監修
日本図書センター H6 232P 内2P
初出『随筆』大正13年9月号

< 雑司ヶ谷へ来たので、つい近所の墓地へ度々行く。度々行っている裡に、夏目さんのお墓も、岩野泡明のお墓も見当った。まだ島村抱月氏(もし雑司ヶ谷にありとすれば)のお墓に、ぶっつからない丈である。夏目さんのお墓は、随分評判のわるいお墓であった。自分で見るとこれじゃ評判のわるいわけだと思った。夏目さんと云えば、後世に残る文豪である。願くば、夏目漱石の墓と天然石か何かに、彫ってあったら、どんなに気持がいゝだろう。だが、僕の云った時は、命日の九日で、香煙が縷々と立ち昇っていた。
 岩野泡鳴のお墓には、「あるがまゝの現実に即して、全的存在の意義を髣髴す。味の生活なり。観照の世界也。……」と云ったような言葉が、彫りつけてある。自然主義の時代には、その言葉が、ピッタリしていたのだろうが、今では実感のない空虚な言葉としか思えない。高山樗牛の「吾人は須く現代を超越せざるべからず」などもこれと同じに馬鹿々々しい。とにかく、人はその時代時代に生きるものだ。殊に、思想や主張などは、直ぐ古くなる。お墓などには、決して自分の言説などは、彫らすものではないと、つくづく思った。>

菊池寛<1888(M21)~1948(S23)>
発表の前年大正12年(35歳)に文芸春秋社創設。関東大震災。年末雑司ヶ谷金山に居を定める。
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# by ouraiza | 2002-01-01 00:11 | メモ/雑司が谷の本 | Comments(0)