緑の小瓶。瓶なかには焼酎(銘柄は無い)が入っている。池袋西口「ふくろ」のレモンセット(レモン割り)。ほろ酔いから先の道が信号の無い高速道路で、はるかカウンターの先に山脈あり海原あり大晴天あり暴風雨あり、この緑の小瓶はあやしい。前から思うのだが、今の雑司が谷にあって欲しいのは赤ちょうちん、土間蛍光灯で手厚くない大衆酒場である。
『男の居場所』八木義徳 昭和53年初版 北海道新聞社
雑司ヶ谷霊園にふれている随筆「父の墓」収録
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「父の墓」冒頭部分
いま借りている仕事部屋から雑司ヶ谷墓地が近いので、よく散歩に出かける。
(中略)
待合所の前に出された看板の標示にしたがって、これらの墓の一つ一つを、足にまかせて訪ね歩くのはとてもたのしい。
ところで、これはやはり人気というものだろうか、漱石や夢二の墓には、いつ訪ねても花が供えられている。下戸で酒は一滴も飲めなかったという生前の漱石を知らないのか、時には、かんビールやワンカップの日本酒などが供えられていることもある。
また、いつかは夢二の墓の前にビニールに包んだおはぎが五個ほど供えられていたこともある。これはおそらく夢二ファンの女性の供物だろう。
それにしても、墓というものはつくづく不思議なものだと、いつもここへくるたびに思う。墓はあきらかにその人間の”死”の標識でありながら、その前に立つと、逆にその人間の“生”の全体像ともいうべきものが、実に鮮明な輪郭をもって、私の前に立ちあらわれる。
(中略)
「棺を蓋いて事定まる」という古語には倫理的な意味があるらしいが、そういう倫理的な意味合いをのぞいたもっとも素朴な意味においてでも、これは至言だと思う。
そういう意味で、墓というものは“死”の標識ではなくて、むしろ“生”の象徴である、といえるかもしれない。
ーーー以降、父親とその墓地(多摩)のはなし
八木義徳の墓所は中野区上高田・松源寺。